人間の脳というのは非常に高性能で、画像の陰影からであれば物体の形状をかなり的確に知ることができます。
私たちは生来備わったこの能力を逆方向に利用して、何もないところから陰影を導き出し、絵を描いています。
しかしこれが金属のようなぴかぴかの表面となるとそう簡単にはいきません。
金属の表面には他の材質よりも極端な陰影が現れます。
そうなる理屈の方は難しくありませんが、いざそれを絵にするとなるとままならないものです。
今回は私が金属を表現する際に考えていることを現状の進行度でまとめてみました。
取り敢えず金属の質感を表現するには、鏡面反射を再現しなきゃなりません。
ところがこの鏡面反射というのが大変なクセモノ。
文字通り鏡面反射は「鏡」です。金属やぴかぴかに磨かれた塗装面が吸収できなかった光を跳ね返し、周囲の景色をその表面に映し出す現象です。
その現象を人間の脳で計算し、どこに何が映るかを予想して絵を描かなきゃならないわけですが・・・これが実に困難を極めます。
平面の鏡に何が映るかは辛うじて想像することも出来ますが、二次曲面三次曲面となると歪みが激しくなってもうぐちゃぐちゃ。
さらに車のボディや金属製のアクセサリといった複雑な表面では、鏡面に映ったものが他の鏡面に二次反射三次反射してもうわけがわかりません。
私たちは陰影に限らず様々な視覚情報を模倣して絵にする能力を持っていますが、鏡面反射で何が映っているかを導き出そうとするとそれとは段違いに難しいものです。
しかしこれを逆に考えると、どう描けばいいかという答もそこにみえてきます。
人間の脳で正確な答が導き出せないということはつまり、大して正確じゃない反射像を絵に描いても人間の脳では間違っているかどうか判断が難しいということでもあります。
・・・ならウソでもそれらしく誤魔化しちゃえばいいんじゃないでしょうか。
例えばこれは鏡面反射による金属表現の一例です。
画像に描かれているのは台紙と球のみですが、それとは別に球面には空が映りこんでいます。
緑っぽいのは金色の球が青の波長を一部吸収するためです。
こうした反射像には画面内に描かれていないものまで映りこむ場合が少なくありません。
手前に空が見えるかどうかなんてこの画像の中には情報がありませんから、そこに何が映っているのが正しいのか、答合わせはできないわけです。
これはつまり、反射像に何が映りこんでいるかは人間の脳にとって大した情報ではないということじゃないでしょうか。
“何かそれらしいもの”が映りこんでさえいればいいのです。
そこで偉大な先人たちが編み出した方法は、経験上映りこむ場合の多い空とか山とか地面とかを擬似的に描きこみ、反射している様に見せる方法でした。インチキではありますが、これが実に好い加減(よいかげん)です。
例えばこんなグラデーションは空と地平線付近の山、地面を表しています。これを適当に伸ばしたり歪めたりぼかしたりしながら、金属っぽくしたい表面に描きこんでやれば金属の出来上がり。
主に屋外の表現に使うものですが、これだけで銀色に見えます。
ウソをベースとした技術ではありますが、効果は折り紙付き。
古くからある表現方法のひとつです。
現在進行中の絵にも金属部分がありますが、大体そんな考え方に基いて描いていました。
色付きでみるとこんな感じです。
この鎖のような装飾はある程度鏡面反射を抑え、ランバート反射を半分くらい描いてあります。
ぴかぴかな質感となると“それらしく”歪ませるのに相当な鍛錬が必要ですが、このくらい鈍い表面なら適度にぼかせばそれなりに金属っぽく見えてしまいます。
絵を描く上では、インチキと好い加減はとても大切です。
それは鏡面反射に限ったことではありません。絵を描くという行為全般でいえることのようです。
簡単に表現できるものほどそれを見る人も敏感にそこから情報を受け取り、逆に絵にするのが難しい部分ほど好い加減に描いても違和感を感じません。
どこを誤魔化すべきで、どこを誤魔化すべきではないのか。
まさに「好い加減」を探すのが絵を描く者に課せられた命題なのでしょう。
それがなんとも難しくて困っているわけですが(゚ー゚;)