キャラクタイラストの肌を描くとき、陰影には多くの場合肌色より濃いオレンジや茶色を使います。
紫や青を使う技術もありますが、普遍的なものではありません。
経験的にそうしなければ違和感があることは知っていましたが、割と最近まで私にはどうにもこれが疑問で仕方ありませんでした。
というのも、多くの場合色を持つ表面は明るい場所ほど鮮やかに、暗い場所は無彩色へとくすんで見えるものです。
これはグリザイユ技法について書いた記事でも触れましたが、人間の目は物体に当たって跳ね返ってきた光を捉えて色を判別しているわけですから、光が多いほうが色の情報も多くなるはず。
ところがこの理論でいくと、肌の陰影は彩度の高いオレンジや赤茶色ではなく、くすんだ肌色っぽいグレーで描かなきゃなりません。
実際に比較してみます。
これは理屈にあわせて肌色っぽいグレーで陰影をつけたもの。
これだと人間の肌に見えない、あるいは見えても汚れていたり不健康であるように見えてしまいます。
こちらはこの画像の元絵をそのまま切り取ったもの。
人間の肌を絵に描く場合は、こうして茶色で陰影をつけ、部分的に強い赤をいれることになります。
どうしてこんな彩度の高い陰影をつけるのか、私にとっては随分とナゾのままでした。
経験的にではなく、理論的にその理由を意識するようになったのはつい2~3年ほど前でしょうか。
その答はやはりコンピュータグラフィクスの知識からもたらされました。
この肌に現れる特殊な陰影は「表面下散乱」「サブサーフェイス・スキャタリング」などと呼ばれていて、ここ数年、コンピュータグラフィクスの分野で大きく進歩した理論のひとつです。
「SSS」とかっこよく略されたりしているのだとか。
物体の表面で反射しなかった光が物体内で屈折や反射を繰り返し拡散して外に出てくる現象で、未塗装のプラモデルやろうそく、大理石といった材質でもみられます。
模式的に描くとこんな感じ。
これが人の肌で起こる場合は体内組織や血液に特定の波長を吸収されて、出てくる光は鮮烈な赤い色に変化します。
この赤い光が本来黒になるはずの陰に突き抜けてきちゃうので、人間の肌は彩度の高い茶色い陰影を現すということになっちゃうのでしょう。
またこのとき、光があたっている部分のすぐ隣に飛び出してくる光は肌特有の奇妙なグラデーションを作ります。
上図右は肌に現れるグラデーションを強調して描いてみたもの。明るい部分の周囲には散乱した光が多く現れて赤い縁取りを描きます。
例えばこの図では肩や頬の部分。
強い光があたって明るくなっている部分の周囲に手動で赤をのせています。
加算(発光)などのブレンドモードで自然にあらわれるものではありません。
補足ですが、同時に明るい部分の反対側にもぼんやりと赤い光が透過してきます。
これはあちこちで遮られたり曲折したりするのでどこが赤くなるかは一概にいえず難しいところ。
理解したのが最近ですからまだまだナゾも多く、血色が単純に透けている場合や唇、口腔内の表現などはまだ自分なりの消化ができていません。
静脈の青が透けるのか紫寄りのピンクに見えることもありますが、色彩恒常といった別の要素もからんできて複雑を極めます。使いこなすには長い時間が必要となるのでしょう。
ただひとつ重要なのは、人間の脳がこの表面下散乱という軽微な変化に対して非常に敏感であるらしいということです。
人間の視覚はとにかく同種族、人間に対して敏感です。わずかな顔の違いから個体を識別したり、瞳の動きから感情を読み取ったり。
恐らくこの表面下散乱という微妙な現象を敏感に捉えるのは、人間が人間の身体を識別するために発達した能力なんじゃないでしょうか。
表面が肌色で内部が赤い半透明の物体、というのは人間以外にはあまりないわけです。
ひょっとするとすると表面下散乱には対象の健康状態や年齢、やわらかさといった情報までもが含まれているかもしれません。キャラクタイラスト、特に女性を描くなら、疎かにできない要素です。
-人体は半透明。
当たり前のことではあるんですが、意外に絵を描く時には意識していないことが多いんじゃないでしょうか。
「透明感」という言葉がイラストを好意的に評価する際によく用いられますが、その意味はふたつあるように思います。
色使いやキャラクタの醸し出す雰囲気を指す場合。
単純に透明な質感を表現している場合。
前者でありたいというのはキャラクタイラストを描く者にとって普遍の願いだと思いますが、こればかりは鍛錬を積むしかありません。
ぐるぐると試行錯誤している身としては、比較的理論で計りきれる「透明感」である後者、単純な半透明の表現から研究を始めてみているところです。